「Uber Eatsを辞めた理由」と息子の引きこもり生活—臼田敦伸容疑者の父親が語る真実
「この15年間、息子と2人で暮らしていました。事件を知ったときは『そのくらいのことはやっても別に不思議ではないし、驚きもしない』といった心境でした。『またか』といった感じですね」
言葉の端々に諦念と後悔を滲ませ、「息子の考え方には賛成だが、違法行為をしてはいけない」と繰り返す。10月19日早朝、東京・千代田区の自民党本部に火炎瓶を投げ込んだ後、首相官邸前に車で突っ込み、警視庁に現行犯逮捕された臼田敦伸容疑者(49)の父親が「週刊文春」の取材に答えた。
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10月19日午前5時43分、早朝の静寂が一瞬にして破られた。川口ナンバーの軽ワゴン車が千代田区永田町にある自民党本部前に停車。全身を薄黄色の防護服で覆った男が運転席から降りると、高圧洗浄機で液体を噴射し始める。そして、車内から取り出した手製の火炎瓶を4、5回投擲し、そのまま車で逃走した。
「その後、車は約600メートル離れた首相官邸前に移動し、車両阻止の柵に突っ込んだのです。さらに男は運転席から飛び出し、着火した発煙筒を警察官に投げつけた」(社会部記者)
9分間の狼藉の末、職業不詳の臼田容疑者が公務執行妨害の疑いで現行犯逮捕された。
「押収された軽ワゴン車の車内にはガソリンが入った赤、青、黄色のポリタンク20個のほか、発煙筒と火炎瓶が複数残されていました。車内で炎上を起こそうとしたのか、車内に戻って一部を焼いたところで取り押さえられたのです。一歩間違えば、大惨事になっていた可能性が高い」(捜査関係者)
事件現場から約30キロ離れた埼玉県川口市。朝8時過ぎ、歯科医院を営む臼田容疑者の父・臼田篤伸さん(79)は、警視庁からの連絡で息子の関与を知ったという。
篤伸さんによれば、臼田容疑者は高校を卒業後、ウェブサイトの制作や長距離トラックの運転手など職を転々とした。15年ほど前からは、川口市内の自宅で父親と2人暮らし。
交際していた女性とは…2011年の東日本大震災がきっかけで、原発再稼働に反対するように。翌12年には関西電力大飯原発3、4号機近くでテントを張り、抗議活動にも参加していた。ここ数年、臼田容疑者は表立った活動はしていなかったという。おのずと親子間の会話は少なくなっていった。
「1階は私、2階は息子の部屋でした。食事も別々で、お互い干渉しない生活ですよ。数年前にUber Eatsの配達員として働き始めましたが、それも昨年いっぱいで辞めてしまった。
でも、私からお金(生活費)を出すということはしていません。働いた貯金もあるでしょうけど、実母の生前贈与もある。働かなくても食べていけるわけですよ。最近は自宅に籠もって、パソコンなどをいじったりする時間が多くなりましたね。活動家の仲間が家に来ることもない。一時期交際していた女性がいましたけど、短期間で別れてしまった」(篤伸さん)
一方、臼田容疑者はXに社会活動への熱意を繰り返し投稿している。
〈法律に反してても、えーじゃないかえーじゃないか〉(23年1月26日)
〈決起こそ社会を変える〉(23年1月31日)
〈暴れる力で社会を変えよう〉(23年3月12日)
ある日、篤伸さんは息子の軽ワゴン車が入庫しているガレージを覗き見た。
「中までは入らないけど『いろんな可燃物があるな』ということは、わかっていました。でも、それを使う様子も窺えなかったので何も言いませんでした。咎めたりしても、いちいち言うことを聞く人間じゃないですから」(篤伸さん)
事件当日の朝。ガレージにあるはずの車が見当たらないことに気付いた篤伸さんは「仕事でも行っているのかな」と思い、特段気にも留めなかったという。時を同じくして、狂気を秘めた臼田容疑者は首相官邸前でアクセルを踏み込んでいた――。
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一体なぜ臼田容疑者は狂気のアクセルを踏んだのか? 配信中の「週刊文春 電子版」では臼田容疑者の父親のインタビュー全文を一挙掲載する。幼い臼田容疑者を襲った虐待と親子に生じた隙間風、そして家出の事実。その後に起こした政治的なアクションの数々と容疑者が現行犯逮捕されたもう一つの事件。事件の背景に迫った数々の証言を紹介している。
(出典 news.nicovideo.jp)
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